大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和60年(ワ)14354号 判決

原告

ネッスル日本労働組合東京支部

右代表者執行委員長

植野修

右訴訟代理人弁護士

岡村親宜

古川景一

被告

東京労働金庫

右代表者代表理事

堀秀夫

右訴訟代理人弁護士

山本博

右訴訟復代理人弁護士

安養寺龍彦

参加人

ネッスル日本労働組合

右代表者執行委員長

村谷政俊

右訴訟代理人弁護士

藏重信博

坂恵昌弘

主文

一  原告の被告に対する請求を棄却する。

二  原告と参加人との間において、別紙預金目録記載の預金債権の債権者が参加人であることを確認する。

三  被告は参加人に対し、金一四五五万九四九三円及びこれに対する昭和五八年一一月九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用のうち、原告と被告との間の請求に関する訴訟費用は原告の負担とし、参加に関する訴訟費用は原告及び被告の負担とする。

事実

Ⅰ  昭和六〇年(ワ)第一四三五四号事件

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1 被告は原告に対し、金一四五五万九四九三円及びこれに対する昭和五八年一二月一九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文第一項同旨

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1 原告は被告の日本橋支店に別紙預金目録記載の預金口座を開設し、継続的に取引をしてきた。

2 右の二つの預金口座には昭和五七年一二月三一日現在で一四五五万九四九三円の残高があり、それ以降は入出金がされていない(以下、この預金を本件預金という。)。

3 原告は被告の日本橋支店に対し、昭和五八年一二月七日到達の書面で、本件預金のうち定期預金の全額を解約して同月一九日にその払戻を受ける旨の意思表示をした。しかし、被告はその払戻に応じない。

4 よつて、原告は被告に対し、原告の被告に対する預金債権のうち存在していることが確定的な一四五五万九四九三円及びこれに対する昭和五八年一二月一九日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1 請求原因1項は否認する。

但し、被告日本橋支店に「ネッスル日本労働組合東京支部」名義で原告主張のような口座が存在することは認める。

2 同2項のうち、右口座に原告主張のような残高があること、昭和五七年一二月三一日以降入出金がされていないことは認める。

3 同3項は認める。

被告日本橋支店は昭和四三年頃から「ネッスル日本労働組合東京支部」と取引があつたが、同組合では昭和五七年頃その内部に紛争が起き、現在同一名称を名乗る二つの団体が存在し、互いに本件預金の帰属を争つている。そのため被告としてはどちらに支払うべきかが確定できないので、支払を停止しているにすぎない。

Ⅱ  昭和六一年(ワ)第二〇二一号事件

第一  当事者の求める裁判

一  参加人の請求の趣旨

1 主文第二、第三項同旨

2 参加による訴訟費用は原告及び被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する原告の答弁

1 参加人の原告に対する請求を棄却する。

2 参加による訴訟費用は参加人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1 本件預金の名義は「ネッスル日本労働組合東京支部」である。しかし、本件預金は昭和五八年一月以前に預け入れられたものであるところ、その当時本件預金は支部に帰属していたものではなく、「ネッスル日本労働組合」(以下、昭和五七年一一月頃以降の紛争以前のネッスル日本労働組合を旧組合という。)に帰属していたものである。

〈中略〉

2 参加人は旧組合と同一性を有する組合である。原告は、旧組合は分裂し、現在会社内には二つの組合が併存していると主張しているが(後述)、失当である。以下、その理由を述べる。

〈中略〉

3 したがつて、本件預金は参加人が有しているものである。原告は斎藤を委員長とする組合の東京支部と自称しているものであつて、本件預金の債権者ではないが、被告に対して本件預金の債権者であると主張してその支払を請求している(昭和六〇年(ワ)第一四三五四号事件)。

4 参加人は被告に対し、昭和五八年一一月八日到達の書面で、本件預金の解約の意思表示をした。

5 よつて、参加人は、原告に対しては本件預金の債権者が参加人であることの確認を求め、被告に対しては本件預金の元金一四五五万九四九三円及びこれに対する解約日の翌日である昭和五八年一一月九日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する原告の答弁

1 請求原因1項は争う。本件預金の名義は「ネッスル日本労働組合東京支部」であり、その入出金は昭和五七年一一月まですべて支部執行委員長植野修の名義と印鑑を用いてされていたのであつて、本件預金の債権者は東京支部であつて本部ではないことは、以下の事実から明らかである。

〈中略〉

3 同3項のうち、原告が本件預金の債権者であると主張して被告に対してその支払を請求していることは認める。

4 同4項は知らない。

第三  被告

被告は、参加人の請求及び主張に対して何ら答弁しない。

Ⅲ  証拠〈省略〉

理由

一被告の日本橋支店に「ネッスル日本労働組合東京支部」名義の預金口座(口座番号は別紙預金目録記載のとおり)があり、昭和五七年一二月三一日現在のその残高が一四五五万九四九三円であることは、全当事者間に争いがない。

二そこで、本件預金が旧組合に帰属するものか、それとも旧組合の東京支部に帰属するものか判断する。

1  〈証拠〉によれば、旧組合の沿革について以下の事実が認められる。

会社では、まず昭和二一年五月に淡路島の広田工場で淡路煉乳従業員組合が結成され、次いで昭和三五年六月に神戸本社に神戸本社従業員組合が結成された。神戸本社の労働組合には東京と姫路の従業員も加わつていた。

その後、この両組合を一本化して単一組織を発足させることが計画され、昭和四〇年一一月にこれが実現し、単一組織としての旧組合が誕生し、当初は神戸、広田、東京及び姫路の四支部が置かれた。その後、大阪、島田、霞ケ浦及び日高の四支部が追加された。

昭和五五年七月一八日には法人としての設立登記がされている。

2  〈証拠〉によれば、旧組合の規約には、次のとおり定められていたことが認められる。

組合員の範囲は、会社の従業員及び本部執行委員会で加入承認された者並びに臨時従業員で本人が希望し本部執行委員会が認めた者とする。

組合員が脱退する場合は、脱退届を所属支部を経て本部執行委員長に提出し、本部執行委員長がこれを認めた場合は組合を脱退することができる。

組合を運営するために本部、支部及び分会の機構を設ける。

本部は、組合全体を統括し、組合を代表して業務を行う機構であつて、本部執行委員会で運営される。また、本部は、決議機関に対して各種議案を提出し、業務の経過を報告するとともに、業務運営について責任を負う。

支部は、事業所又は地方別に設け、その事業所又は地方の組合員別で構成する。支部の設置、改廃については、本部執行委員会の決定による。但し、この場合は全国大会の承認を得る。支部は、本部と組合員との間の意思交流の徹底を図るために、その支部に関する一般組合活動を行う機構であつて、支部執行委員会で運営される。支部は、規約及び上級機関の決定に反しない限り、その業務遂行の自主性が認められる。支部は、その諸活動を正確、迅速に本部へ報告しなければならない。

以上の事実が認められる。

なお、〈証拠〉によれば、旧組合の支部には支部独自の規約はなかつたことが認められる。もつとも、〈証拠〉によれば、旧組合の規約中に、右に認定した事項のほかに、支部に関して、支部機関(支部大会及び支部執行委員会)、支部書記局、支部役員等についての定めがあつたことが認められる。

3  〈証拠〉によれば、旧組合の会計及び財政については、組合規約及び財政処理規定によつて次のとおり定められていたことが認められる。

組合員は組合費その他の負担金を納入する義務を負う。

組合の財政は、組合費及び寄付金その他の収入で賄う。

組合の会計は一般会計と特別会計とする。一般会計は運営費に関するものであり、特別会計は闘争資金に関するもの、慶弔資金に関するもの、補償資金に関するもの及びその他全国大会において設置を決定したものである。

組合費は、毎月の基本給の百分の2.4及び夏期、冬期の各一時金の一定割合とする。

一般会計決算による剰余金の処分は大会で決定する。

組合のすべての財源及び使途、主要な寄付金の氏名並びに現在の経理状況を示す会計報告は決算期ごとに書類に作成し、大会の決議によつて委嘱された公認会計士の証明書を付し定期大会ごとに公表して、承認を受けなければならない。

予算は、本部執行委員長が原案を作成し、財政部長は財政処理規定に定める勘定科目に従つてこれを編成し、定期大会において審議決定する。財政部長は年次予算に従つて運営しなければならない。

決算は毎年一回会計年度(七月一日から六月三〇日まで)終了日に実施する。決算に関する報告書類は定期大会に提出して承認を受けなければならない。

銀行預金の開始、小切手の発行は本部執行委員長の名義とし、署名捺印を要する。但し、やむをえない場合には書記長名義とすることができる。支部においては、これに準じなければならない。

外部より金銭の借入を行う場合は、本部執行委員会の承認を得なければならない。

支部の予算及び決算は支部大会に付議しなければならない。支部の会計処理は財政処理規定に基づくほか本部執行委員長通達により行う。

以上のとおり認められる。

なお、〈証拠〉によれば、支部が独自で組合員から組合費を徴収することはなかつたことが認められる。

4  〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(一)  旧組合が単一組織として発足した昭和四〇年から昭和四九年度までは、各支部が徴収した組合費のうち0.5パーセントを支部分担金として本部に納入してこれを本部の財源とし、残りを各支部の財源とした上で、本部と各支部はこのようにして別個に定まつた財源の中で独自に収支のやりくりをつけて予算を設定していた。

そして、全国大会においては本部の予算及び決算だけについて承認、報告が行われ、支部の予算等については協議等はされなかつた。

(二)  旧組合は、昭和四九年度に至り、昭和五一年度から本部集中会計に移行すること、これに伴い予算案の編成及び決算草案の編成を書記長会議で行うことを決定し、本部、支部を通じて組合全体の統一的な会計基準を定める財政処理規定を制定した(この規定は昭和五一年七月一日から実施された。)。

また、昭和五〇年度から本部及び全支部の活動方針、活動計画を検討し、本部、支部の個々的な財源の枠を超えた全組合的な基準で予算を設定することにした。

(三)  第一一回定期全国大会に提出された昭和五一年度予算に関する議案では、一般会計についての予算方針として、予算設定の基本的な考え方としては前年度の方針を継承するとともに、更にこの方針を補強するために、全国大会で組織全体の予算総枠を決定するものとすること、具体的には、本部、支部書記長会議で討議の上修正、補強された財源、期間支出などの方針に基づいて全体の予算を設定すること、本部と支部の財政規模の適正化を図り、組織全体として年度内収入で必要経費を賄うことを前提とすること等が提案されている。

また、右議案では、財源(収入の部)については前年度繰越金と当年度期間収入の合計額を一般会計における組織全体の財源として見込むものとされており、諸費用(支出の部)に関しては、支出については各機構の予算を設定し、支部予算については既に本部・支部書記長会議で討議され、本部執行委員会で確認されている支部執行部案に基づいて各支部財源の枠を全国大会で決定することとし、財源は本部執行委員会が配分するとされている。

そして、予算には本部に関するものだけではなく、支部に関するものも含まれている(但し、支出の明細は本部に関するものだけが記載されている。)。

なお、右全国大会に提出された昭和五〇年度決算・監査報告は、一般会計に関しては本部一般会計についての記述があるだけであつて、参考として本部及び支部の収入、支出の総計を表示する「本部・支部連絡一般会計収支」と題する表が掲げられている。

(四)  第一五回定期全国大会に提出された昭和五四年度決算・監査報告の一般会計の部においては、本部一般会計についての記述があるほか、機構別決算一覧として本部及び各支部の収支等の総額が示されている。

また、右大会に提案された昭和五五年予算に関する議案の予算方針においては、一般会計について、従前の予算設定に当つての基本的な考え方を継承するとして、全体の予算総枠の中で本部・支部の活動を保障できるよう配分してゆくこと、組織全体として年度内収入で必要経費を賄えるよう努力すること、支部財源については書記長会議における前年度決算の検討、前年度活動の総括を踏まえて決定してゆくこと、全支部の財政上の統一についても引続き努力してゆくこと等の方針が示されている。

そして、提案された一般会計の予算は本部、支部を包含するものであるが、支出の明細は本部についてのものだけが記載されている。

(五)  昭和五五年度及び昭和五六年度の各決算・監査報告の方式も昭和五四年度の決算・監査報告のそれと同様であつた。

また、昭和五六年度及び昭和五七年度の各予算における一般会計についての予算方針及び予算に含まれる事項は昭和五五年度予算についてのものと同一であつた。

(六)  支部予算の決め方については、以上のような経過であつて、昭和五〇年度予算からは本部、支部を包含した全組合的な基準で予算を設定することになり、昭和五七年頃までには次のような方式が確立するに至つた。

すなわち、まず、本部書記局が予算編成の指針、基準を予め示し、これに基づいて各支部において予算案を作成する。これを各支部の書記長が持寄つて書記長会議を開催し、各支部の活動状況等を勘案して各支部の案を調整した上で各支部部の予算枠を決定する。これを本部執行委員会に報告して、同委員会の確認を経て、全国大会へ予算案として提案する。このようにして決定されるのは各支部の支出の総額であつて、支出の細目は各支部の支部大会で決定される。

(七)  当初は組合費は各組合員から支部の役員が直接徴収し、このうちから本部に納入すべき支部分担金を本部に送付していた。

昭和四七年に会社との間にチェックオフ協定が締結され、それ以後は組合費は会社から各支部の預金口座に振込まれ、そのうち支部予算額を控除した残りを本部に送金していた。

以上の事実が認められる。〈証拠判断略〉

5  〈証拠〉によれば、一般会計の剰余金について以下の事実が認められる。

各支部の一般会計に生ずる剰余金を本部に送金させるというような措置はとつていなかつた。

しかし、昭和五一年度以降の予算においては、本部及び各支部の累積剰余金が前期繰越金として計上されており、少なくとも昭和五四年度以降の決算・監査報告には本部及び各支部の剰余金が記載されている。

6  〈証拠〉によれば、昭和五七年七月、霞ヶ浦支部執行部が支部創立五周年記念品として時計を購入して組合員に配布しようとしたことが、先例がなく、予算にも計上されておらず、財政を私物化するものであるとして問題となり、書記長会議ではその購入を中止すべきことを決定したが、結局配布され、右支部の執行委員長らに対する制裁処分の問題に発展したことが認められる。

7  特別会計の一つである闘争資金については、以下のとおり認められる。

まず、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

闘争資金はストライキによる賃金カットの補償を目的とするものであるが、昭和四九年以前は闘争資金積立金として各組合員から月額三〇〇円ずつ徴収し、これを各支部が労働金庫に預金していた。そして、組合員が組合員としての地位を失つた場合には右積立金は本人に返却され、また組合員が転勤した場合にはこれを転勤先の支部に移送していた。

しかし、第七回定期全国大会で定められ、第九回定期全国大会の承認によつて改正され、昭和四九年一〇月から実施された闘争資金積立規定及びその施行に関する細目を定める第九回定期全国大会確認事項によれば、闘争資金に関しては次のとおり定められている。この資金の使用基準の詳細は本部執行委員会で決定する。組合費とは別に毎月の基本給及び夏期、冬期の一時金の一定割合を徴収し、支部で労働金庫口座に預金する。このように各支部で毎月積立て、月末までに本部に報告する。利息は闘争資金に充当し、利息収入のあつた該当月の月末までに本部に報告する。この積立金は特別会計として一般会計とは区別して本部で記帳・会計処理を行う。支部会計では闘争資金会計を行わない。この闘争資金の返却は行わない。

次に、〈証拠〉によれば、昭和四九年の前記闘争資金積立規定の改正以後は、闘争積立金は本部会計の予算、決算に計上されるだけで、各支部会計の予算、決算には計上されていないこと、昭和五〇年度の本部の決算・監査報告中の闘争資金会計の部の賃借対照表の「現金預金」には、本部及び各支部で保管している現金の明細が記載されていること、東京支部の昭和五四年度及び昭和五五年度の各決算監査報告書の賃借対照表の負債の部には闘争資金会計が計上されているが、その勘定科目は「預り金」とされていること、以上の事実が認められる。

また、〈証拠〉によれば、ストライキによる賃金カット分を補填するために各支部の労働金庫の預金を取崩すことを決定するのは本部執行委員会であり、本部執行委員会は時には各支部で保管している闘争資金を支部口座間で移送することを決定してこれを各支部に指示することもあること、現に昭和五五年六月一九日の本部執行委員会においてこのような移送をすべき旨が決定されて即日各支部に指示がされ、翌二〇日にはその移送が実行されたこと(広田支部から六〇〇万円を神戸支部へ、姫路支部から一五〇〇万円を東京支部へ、四〇〇万円を大阪支部へ、日高支部から三〇〇万円を大阪支部へ、島田支部から五〇〇万円を大阪支部へそれぞれ移送されている。)、右の移送にかかる金額については昭和五四年度決算のため同年六月三〇日付で本部口座から各支部口座に一時振戻したが、本部は同年八月一二日に各支部に対し、右各金額を本部口座に振込むことを指示し、その際、闘争資金の支部残高調整案については昭和五五年度第一回本部執行委員会において報告する予定である旨を付記していることが認められる。〈証拠判断略〉

闘争資金の使用については、更に、〈証拠〉により、次の事実が認められる。

昭和五四年及び昭和五五年の春闘が長びき、六月に支給される夏期一時金の支払が遅れることになつたために、旧組合は、昭和五四年には旧組合が全日本食品労働組合連合会(旧組合の上部団体)及び労働金庫から資金を借入れ、六月末日で組合員に一律二〇万円を無利息で貸与することとし、昭和五五年には旧組合が労働金庫から総額五億七四二〇万円を借入れて組合員に、一律三〇万円を貸与することとしたところ、右食品労連からの借入は無利息であつたが、労働金庫からの借入は無利息ではなかつたので、その利息分は闘争資金から充当することにしたこと、この件は本部執行委員会において決定され、事後に全国大会の承認を得たものであることが認められる。

証人椿弘人は、昭和五五年度決算・監査報告(〈証拠〉)の「闘争資金特別会計の部」の収支計算書の中の支出の部に支払利息として六〇〇万九九九三円が計上されていることについて、当時、闘争資金は本部、支部全体を通じては充分な剰余金があつたのに、各支部の保管している闘争資金を本部の一存で処分することはできなかつたために、ストライキによる賃金カット分の補償のためにこの年食品労連から闘争資金を借入れたことによる利息が計上されているものであると証言している。しかし、食品労連からの借入は前記認定のとおり無利息であるし(このことは、〈証拠〉によつても明らかである。)、〈証拠〉によれば、闘争資金特別会計の昭和五五年六月三〇日現在の貸借対照表では、累積剰余金が六八〇二万四五九九円であるが、今期欠損金が一億〇〇三八万六七四一円であつて、赤字分三二三六万二一四二円が次年度の昭和五五年度予算において繰越欠損として計上されていること、昭和五六年六月三〇日現在の闘争資金特別会計の貸借対照表では、今期剰余金は五二一九万六八五三円であるが、累積欠損金が三二七七万五八四五円であるので、その差額は一九四二万一〇〇八円にすぎないこと、このように昭和五五年度当時闘争資金の剰余金は充分ではなく、ある程度の資金的余裕が必要であるという戦術的配慮から闘争資金を借入れたものであつて、各支部が保管にかかる闘争資金の取崩しに応じなかつたからではないことが認められる。したがつて、証人椿弘人の右証言は措信することができない。

8  〈証拠〉によれば、特別会計の一つである補償基金について以下の事実が認められる。

(一)  昭和四六年八月二八日から実施された組合補償規定によつて、組合員が正当な組合活動によつて不利益を被つた場合は組合が必要な補償を行うことが定められた。

当初は補償を行う場合の財政的裏付けについて規定されていなかつたが、第一一回全国大会において昭和五一年八月二二日に組合補償規定の改正が決議され、補償金の積立は一般会計から行うこと、積立額は毎月の組合費収入の四八分の一相当額とし、本部で労働金庫口座に預金すること、利息は補償資金に充当すること、この積立金は特別会計とし、一般会計とは区別して本部で記帳、会計処理を行うこと、補償資金に不足が生じた場合には大会の決定により臨時資金を徴収し、収入に充てることができること等が定められた。

(二)  そして、昭和五一年度予算の編成に際して、組合補償規定の改正に伴い特別会計を開設し、開設基金として一五〇〇万円を一般会計から振替えること、昭和五一年度の積立金の額は一三三万三四五八円(毎月の組合費収入見込の四八分の一)とし年度内に労働金庫口座に積立てるものとすること、取崩しについては予算を計上しないが、必要に応じて規定に基づき運用するものとすることが決定され、同年度予算から特別会計として補償基金会計が設けられた。

補償基金一般会計積立費一六三三万三四五八円(開設基金一五〇〇万円と昭和五一年度積立額一三三万三四五八円の合計金額)は、本部一般会計から支出するものとされている。

(三)  以降毎年、組合費収入の四八分の一ずつが積立てられているが、昭和五四年度予算の予算方針において、補償基金特別会計の資産確保のための財政措置に向けて、各機構保管資産の調査を行うことが決定され、書記長会議でその具体化についての立案もされたが、実施はされなかつた。

(四)  資産確保のための財政措置はその後も実施されないままであつたが、第一六回定期全国大会において補償基金特別会計の資金確保について、昭和五六年度分までの執行を行うよう決定され、昭和五七年六月一八日の書記長会議において、同年六月末日まで本部及び各支部は一般会計資産から一定金額(本部一〇七九万八〇一八円、各支部の合計額一五〇〇万円)を補償基金特別会計の資産に移行すること、具体的には右金額を各支部名義(本部は本部名義)で各労働金庫に口座を開設し、既に労働金庫に定期預金化されている場合にはそのうち該当部分をもつてこれに充てること、これら各支部の預金は当面は支部が保管、管理し、本部に報告することと定められた。

右の合計金額二五五七万八〇一二円というのは、補償基金特別会計の昭和五六年六月三〇日現在の貸借対照表の資産の部の合計額と一致し、昭和五七年度予算の前期繰越金の金額と一致する。

(五)  支部会計では補償基金会計は扱わないことになつている。

但し、東京支部の昭和五四年度、昭和五五年度の各決算監査報告書の貸借対照表の負債の部には補償基金会計が計上されているが、その勘定科目は「預り金」とされている。

また、東京支部の昭和五六年度の決算報告書には補償基金特別会計についての記載もあるが、一般会計の部の貸借対照表の負債の部には「預り金」として補償基金会計が計上されている。そして、その金額一三六万円は、前記書記長会議で東京支部において一般会計資産から移行すべき旨決定された金額である。

なお、東京支部の昭和五四年度、昭和五五年度各決算監査報告書で、補償基金会計の金額はいずれも一六三万七三二七円とされており、昭和五六年度決算報告書において、補償金戻り金が二七万七三二〇円、次期繰越金が一三六万円(合計一六三万七三二〇円となる。)という処理がされている。

9  〈証拠〉によれば、慶弔見舞金について以下の事実が認められる。

昭和四六年八月二八日から実施された組合慶弔見舞金規定によれば、組合員及び家族は結婚、病気、死亡等に該当する場合には一定の金額が贈与されること、右規定は各支部単位に運営され、支部一般会計とは別に収支を計上すること、会計報告は支部定期大会において行うこととされている。

したがつて、慶弔見舞金会計は本部の予算及び決算には計上されず、支部の決算にだけ計上される。

以上1ないし9において認定した事実に基づいて本件預金の帰属について検討することにする。

旧組合は単一の労働組合であつて、各支部はその下部機構にすぎない。そして、各支部については、旧組合の組合規約において機関、役員等に関して定められてはいるが、支部自体は独自の規約を有するものではないから、そもそも支部は独立の団体として権利能力なき社団としての実体を具えていたものといえるかどうか疑問である。原告は、旧組合は支部の連合体であつたと主張しているが、これを認めるに足りる証拠はない。

そして、仮に旧組合の支部が権利能力なき社団であつたとしても、旧組合は、組合規約に基づいて組合費等を徴収して一般会計及び特別会計を設けてその財政を運営し、財政処理規定によつて特別会計には闘争資金、慶弔資金及び補償資金に関するものが含まれると定めているのであるから、組合費等を財源とするこれらの一般会計及び特別会計に属する資産は、本来旧組合自体に帰属するものであつて、これを支部が所有する筋合いはなく、何らかの事由がない限り支部に帰属すべき根拠はないのであるが、そのような事由は見い出すことができない。

一般会計の予算が本部、支部を通ずる統一的方針、基準に基づいて編成され、各支部の予算枠も本部において決定されること、その結果各支部には支出の明細について決定する権限が与えられているにとどまること、各支部の一般会計の剰余金が本部の予算、決算に計上されていること等は、一般会計に属する資産が旧組合に帰属するものであることを示すものというべきである。霞ケ浦支部における時計の配布が問題とされたのも、このことの表れとみるべきものであつて、その財源が支部に帰属するものであつたとすれば、財政、会計上は何ら問題となるはずのない事柄である。

闘争資金及び補償基金が旧組合に帰属するものであることも、これに関する規定の内容、その取扱いの実態等からみて明らかであり、単にその保管が支部に委ねられていたにすぎない。これらの会計についても支部の決算に含まれている例があるが、その勘定科目が「預り金」とされているのは、これらの資金が支部に属するものではないことを表示するものであると解される。

慶弔見舞金についても、その会計についての事務処理が支部に任されているにすぎないものと解される。

本件預金は東京支部名義でされているが、支部が保管するとすれば支部名義で預金するのが当然であると考えられるから(なお、前記のとおり財政処理規定では、銀行預金の開始は本部執行委員長の名義とし、支部においてはこれに準じなければならないと定められている。支部の預金が支部名義でされているのは、この規定に従つたものである可能性もあるであろう。)、本件預金の名義だけから直ちにこれが東京支部に帰属するものということはできない。

また、証人椿弘人は、本部の一般会計の決算に各支部の剰余金が計上されている趣旨について、本部としてその状況を一元的に把握するために記載したにすぎないと証言しているが、決算書の記載自体に照らして、単にそれだけの意味合いのものであるとはとうてい考えられない。同証人は、一般会計の決算に本部及び各支部の累積剰余金が計上され、これが翌年度の予算の収入の部に前期繰越金として計上されていることについて、「組織全体で年度内収入で必要経費を賄えるよう努力する」という予算方針があり、累積剰余金は消費の対象にはしていないのであるから、右の事実は剰余金が旧組合に帰属することの根拠にはならないとも証言しているが、この説明は首肯することができない。右の事実は明らかに剰余金が旧組合に属するものであることを示しているものとみざるをえないのであつて、椿証人の指摘する予算方針とはかかわりのない事柄である。

更に、証人三浦一昭の証言によれば、本部で運営資金が一時的に不足した場合に、支部の剰余金を移入したこともあるが、支部に剰余金があるにもかかわらず労働金庫から借入をして利息を支払つたということもあることが認められる。しかし、この事実から直ちに支部の一般会計剰余金は支部に帰属するものであるということはできない。

以上のとおりであるから、本件預金がいずれの会計に属するものであれ、本件預金は旧組合に帰属するものであつたと認めることができる。

したがつて、本件預金の債権者が旧組合東京支部であつたことを前提とする原告の被告に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、既にこの点において理由がない。

三次に、旧組合と参加人とは同一性があるといえるかどうかについて判断する。

旧組合における昭和五七年当時の執行部派とこれに反対する一派との間の抗争の経緯については、以下の1ないし4の事実が認められる。

なお、〈証拠〉は、以下1ないし4の事実認定のすべてに共通する証拠であるので、ここに一括して掲記することにする。

1  旧組合の第一七回定期全国大会に至るまでの経緯については、右掲記の証拠と〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(一)  昭和五七年七月二〇日、旧組合の本部執行委員長は、第一七回定期全国大会を同年八月二八日及び二九日に開催する旨を公示し、同じ七月二〇日、本部選挙管理委員長は右全国大会代議員選挙について、立候補の受付期間を同年七月二六日ないし二八日とし、投票日を同年八月一一日にすることなどを公示した。

旧組合の組合規約によれば、全国大会は旧組合の最高決議機関であつて、定期大会は年一回とし、原則として八月に開催すると定められており、全国大会代議員は大会の都度支部を一つの選挙区として組合員の中から二五名に一名の割合で選出すると定められている。

また、右七月二〇日に本部選挙管理委員長は、昭和五七年度本部役員選挙の受付期間を同年七月二六日ないし二八日とすること、定数は本部執行委員長、同副執行委員長、同書記長、同副書記長各一名、同執行委員一〇名、同監査委員二名とすること、投票は全組合員の一般投票によるものとし、具体的には追つて公示すること等を公示した。

組合規約では、本部役員の選挙は全国大会で行うが、本部執行委員会の決議を経て組合員の一般投票をもつて代えることができること、役員の任期は定期全国大会の翌日から次の定期全国大会終了日までとすることと定められている。昭和五七年度の本部役員選挙については、本部執行委員会において、組合員の一般投票による旨決定されたものである。

(二)  本部役員選挙については、執行委員長、副執行委員長、書記長及び副書記長の四役について現職がいずれも立候補したほか、現執行部の方針に反対する立場の者がそれぞれ立候補し、執行委員については一七名が立候補した。

現執行部の方針に反対する立場の候補者は、執行委員長に三浦一昭、副執行委員長に村谷政俊、書記長に田中康紀、副書記長に浜田一男であつて、いずれも後日参加人の本部役員(四役)に就任した者である。

そして、本部執行委員会は、同年七月二九日、本部の現体制を維持することが不可欠であるとして、四役については現職四名を、執行委員の候補者については七名を本部が推せんする旨決定した。

選挙管理委員長は、右同日、投票日を同年八月一一日とすることを公示した。

そして、同年八月四日付で選挙公報が作成され、同日頃から支部段階では不在者投票が開始された。

(三)  同年八月六日、本部執行委員会は、本部役員選挙、大会代議員選挙について会社がキースタッフ(課長以上の管理職)、インフォーマルメンバー(斎藤勝一の陳述書である〈証拠〉は、「インフォーマルグループ」について「インフォーマルグループとは、会社の方針や意向を労働組合の方針と一致したものとすべく、会社が労働組合内部に組織して、強化・育成した組織である。労組法二条や五条二項に定められた労働組合としての役割を担うことのできない者の集団により、労働組合を会社の意志で支配するための組織である。」としている。)を使つて露骨な選挙介入を行つており、選挙の公正が損われる状況にあるので、選挙介入、組合運営への介入に関する詳細な調査を行い、対策を講じるために、大会を延期し、本部役員選挙、大会代議員選挙を中止、凍結する旨決定し、本部執行委員長及び本部選挙管理委員長はその旨を公示した。

同年八月一〇日、本部執行委員会は、本部四役からなる本部調査団を編成し、選挙介入、組織運営への介入について必要な調査を行うこと、必要な調査、対策を経て、本部役員選挙、大会代議員選挙の後、一〇月末をめどにできるだけ早く大会を開催することを決定した。

そして、本部執行委員会は、同年八月一一日付の機関紙「あゆみ」で、選挙介入、組合運営への介入の状況についての調査の結果を公表した。

(四)  これに対して、組合員の有志によつて、組合の正常化、新執行部体制の確立などを呼び掛ける文書が配布された。その内容は、現本部体制は会社を敵視するものであつて、労使関係の正常化はできないこと、役員選挙等の凍結は組合を私物化するものであり、すべてを自分達の都合の良いように進めようとしているものであること、三浦一昭らの役員候補者を支持すること等である。

また、八月二五日頃から、三浦一昭ら本部役員の立候補者、大会代議員立候補者らを発起人として、本部役員の弾劾と退陣、本部役員と大会代議員選挙の投票の完全実施及び定期又は臨時大会開催を要求する署名行動が開始された。姫路支部(支部執行委員長は三浦一昭であつた。)では、八月二五日に、支部執行委員会で右の署名行動をすることを決定している。

これに対して、本部執行委員長は本部執行委員及び支部執行委員長に対してこれを中止させるべく指導するよう指示した。

しかし、約一七〇〇名の組合員の署名が集まり、九月二日に組合本部に提出された。

(五)  同年九月二四日、本部執行委員会は、キースタッフ、インフォーマルメンバーを使つた選挙介入・投票干渉あるいは不正行為が行われていたこと等を内容とする調査結果を取りまとめるとともに、凍結されている本部役員選挙、大会代議員選挙を中止し、改めて選挙を行うこととし、本部役員選挙については立候補の受付期間を一〇月四日から五日まで、投票日を一〇月三〇日とし、全組合員の一般投票により実施すること、大会代議員選挙については立候補の受付期間を右と同じとし、投票日を一〇月一八日とすること、第一七回定期全国大会を一一月六日及び七日に開催すること、右全国大会の議案に「団結強化(インフォーマル組織の解体)をはかり、引きつづき労働組合が大きな役割を果たすために」(以下、団結強化のための方針という。)を追加し、これを決議すること、三浦一昭、萱原定彦(姫路支部副執行委員長)には役職を辞任すること及び今後一切の役職に立候補しないことを勧告し、その他の署名発起人等の行為者に対しても同趣旨の勧告を行うこと等を決定した。

右の団結強化のための方針というのは、会社によつて結成、育成されたインフォーマル組織がいま組合の乗取りを画策し、組合内部で不当な行動を行つているところ、これらを容認することはできないとして、インフォーマル組織による組合の乗取り攻撃を粉砕するために、団結強化の方針(具体的には、これまでの団結破壊の行為者のうち既に制裁の対象となつている者については第一七回全国大会で処分すること、組合員は会社のひもつきインフォーマル組織から即時脱会の手続をとり、脱会の手続をとらず引続き団結破壊行為を行つた者については制裁を含む必要な措置をとること等である。)に結集して頑張るというものである。

(六)  本部役員選挙には、四役については現職四名とこれに反対する立場の三浦一昭ら前記四名が立候補し、定数一〇名の本部執行委員については二〇名が立候補した。

本部役員及び大会代議員の選挙公報には、運動方針案を支持するかどうか、団結強化のための方針案を支持するかどうか、「署名」行動・発起人を支持するかどうか等の質問に対する各候補者の回答が一覧表によつて表示され、各候補者の立場が一見して明瞭に判明するようになつていた。

そして、機関紙の「あゆみ」は、「公報でも明らかなように、この選挙の中で、インフォーマル組織とインフォーマルメンバーがあぶり出されてきている」と述べている。

本部役員選挙の開票結果は、三浦一昭(執行委員長)、田中康紀(書記長)、浜田一男(副書記長)及び執行委員一名(伊東忠夫)が有効投票総数の過半数を得たが、副執行委員長候補の村谷政俊は多数であつたが過半数を得られず、執行委員九名も過半数を得ることができなかつた。

旧組合の選挙規定は、本部役員については組合員もしくは全国大会代議員の有効投票総数の過半数に相当する支持がなければならないこと、この得票数に達しない者があり、定数を満たしえないときは定数に達する得票順の上位者について信任投票を行うことと定めている。

大会代議員選挙の結果、当選者は、執行部の方針を支持する者が四三名、これに反対する者が三四名ということになつた。

2  旧組合の第一七回定期全国大会については、冒頭掲記の証拠と〈証拠〉により、以下の事実が認められる。

(一)  第一七回定期全国大会は昭和五七年一一月六日及び七日の両日開催された。

組合規約には、会議は、決議機関においては議決権を持つ構成員の三分の二以上の出席をもつて成立し、かつこれをもつて議決の定数とすると定められているが、右大会には大会代議員七七名のうち、四二名だけが出席し、三五名は欠席した。

欠席した代議員は、その理由として、本部役員選挙についての信任投票がされていないこと、一部の代議員には選挙の当否の結果が通知されなかつたこと、一部の代議員に大会の案内状が渡されないため、大会の場所が分からないこと、大会に付議すべき会計監査が終了していないこと等から、この時点で大会を強行すべきではないと主張していた。

しかし、本部執行委員会は、欠席者は団結強化のための方針に公然と反対することを表明している者であり、三五名の欠席は組織的、意図的なボイコットであつて、これらの者は議決権に伴う義務を果たさず、議決権を放棄するものであるから、定足数を定める規約一八条にいう「議決権」を有しないと決定し、大会は成立したものであるとした。

(二)  右全国大会においては、昭和五七年度運動方針が本部提案どおり決議されたほか、団結強化のための方針も決議された。

そして、団結強化のための方針の付帯決議として、「ネッスル日本労働組合の機関役員・代議員になるには団結強化のための方針を遵守し、実践すること並びにインフォーマル組織に加わつていないことを明らかにすることが必要である。したがつて、機関役員・代議員になるには①団結強化のための方針を遵守し、実践すること、②インフォーマル組織に加わつていないこと、を全組合員に対し書面で誓約しなければならない。本決議は採択されると同時に発効する。」という決議をした。

(三)  また、右大会においては二一名の組合員に対する制裁が決議され、三浦一昭及び中村節男(島田支部執行委員長)は権利停止二年の、萱原定彦ら八名は権利停止一年の制裁をそれぞれ課せられた。

この制裁は、同年一〇月三一日の本部審査委員会の答申に基づくものであるが、三浦一昭らに対する制裁の理由は、前記署名行動の発起人になるなどこの行動に関連する行為などである。

権利停止処分を受けた三浦一昭及び萱原定彦は神戸地方裁判所に対し右処分の停止を求める仮処分を申請し、同裁判所は同年一一月一三日これを認容する決定をした。

(四)  右大会においては、昭和五七年度本部役員選挙について、一般投票を中止し、第一七回定期全国大会(続開大会)において議決権を有する代議員の投票により選出すること、その公示は一一月七日、立候補受付は同月一〇日及び一一日に行い、投票は一一月一三日の続開大会において行うこと、選挙すべき役職・人数は、本部執行委員長一名、本部副執行委員長一名、本部執行委員九名、本部監査委員二名とすること、立候補に当つては「団結強化のための方針の付帯決議」に基づく誓約の書面を提出しなければならないこと、田中康紀、浜田一男、伊東忠夫の三名については一般投票で有効投票総数の過半数を満たしているので、それぞれ本部書記長、本部副書記長、本部執行委員に当選したものとみなす特別の措置をとるが、「団結強化のための方針の付帯決議」に基づき、一一月一二日までに誓約の書面を提出するよう求めること等が決議された。

そして、本部執行委員長一名、本部副執行委員長一名、本部執行委員九名、本部監査委員二名について、それぞれ定数どおりの立候補があつた。本部執行委員長の立候補者は斎藤勝一であり、現在原告の本部組合の執行委員長の地位にある者である。

執行部に反対する立場の者は立候補しなかつた。

(五)  同年一一月一三日に第一七回定期全国大会の続開大会が開催された。出席した代議員は三九名であつた。

この大会においては、前記神戸地方裁判所の一一月一三日付仮処分決定が、本部審査委員会の定足数だけを問題にしている(審査委員会規定によれば、審査委員会の決議は三分の二以上の出席によりその過半数で決めるとされているが、一〇月三一日の審査委員会の答申は八名の審査委員中五名によつて決議されたものであつた。)と解釈して、再度本部審査委員会から同一内容の答申を大会に提出させた上で、一一月六日付の制裁を暫定的に取消し、一一月一三日付で改めて同一の制裁に課することが決議された。

これに対して、権利停止処分を受けた三浦一昭らはその停止を求める仮処分を申請し、神戸地方裁判所は一二月二日、これを認容する決定をした。

また、右続開大会においては、本部役員の選挙が行われ、前記立候補者が全員当選したものとされた。田中康紀、浜田一男、伊東忠夫の三名は大会で定められた期日までに誓約書を提出しなかつたとして、それぞれ当選とみなされた役職に就くことはできないとされ、書記長、副書記長各一名及び執行委員一名は欠員とされることになつた。

3  第一七回定期全国大会以後の状況については、冒頭掲記の証拠と〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(一)  斎藤勝一を本部執行委員長とする執行部は、昭和五七年一一月一九日及び二〇日に第一回本部執行委員会を開催し、団結強化のための方針、同付帯決議等の第一七回定期全国大会の諸決議を実践してゆくことを決定し、団結強化のための方針を実践する立場での支部執行体制を早期に確立するために、全支部で統一的に昭和五八年一月一五日もしくは一六日に支部大会を開催することなどを決定した。

昭和五七年一二月五日の本部執行委員会においては、インフォーマルメンバーが主導権を握つている支部執行委員会(姫路支部、大阪支部)、支部選挙管理委員会(神戸支部、東京支部、姫路支部、島田支部、大阪支部)では、前記第一回執行委員会の方針に敵対する「支部大会」や「代議員選挙」、「役員選挙」なるものの実行が企てられ、強行されようとしているが、これはインフォーマル組織が支部を乗取るための行為であり、分裂行為、第二組合づくりであるから、これらの「選挙」、「支部大会」なるものとそれへの参加をすることを厳しく禁ずる旨決定した。

また、本部執行委員会は、第一七回定期全国大会の決定に反する「選挙」や「支部大会」に参加しない、第二組合結成に加わらないことを組合員各人が確認することが必要であるとして、全組合員に「確認書」の提出を求めることを決定した。確認書の内容は、「私は、ネッスル日本労働組合の一員として、第一七回定期全国大会の決定に反する「選挙」や「支部大会」には参加しません。」というものである。

更に、本部執行委員会は、同年一二月一八日頃、一部の支部の組合員について、確認書を提出しない者は「ネッスル日本労働組合」を脱退した者であり、非組合員であると決定した。

同年一二月二九日の第四回本部執行委員会においては、昭和五八年一月一五日に「ネッスル日本労働組合」の組合員により、第一八回臨時全国大会を開催すること、全支部で一月九日までに確認書を提出した者について「ネッスル日本労働組合」の組合員とすることとし、これによつて確定した組合員により第一八回臨時全国大会を開催することとすること等を決定した。そして、一二月三〇日付の機関紙「あゆみ」は、会社には三浦一昭委員長とするインフォーマル組合と斎藤勝一を委員長とする「ネッスル労働組合」という階級的民主的労働組合が存在しており、労働組合は分裂という事態を迎えたと述べている。

昭和五八年一月四日には、「ネッスル日本労働組合本部執行委員長斎藤勝一」の名義で、会社に対し、組合分裂を策する集団があり、本来の組合員たる者の範囲を確定することが困難な状態になつているとして、チェックオフ協定を破棄する旨の申入れをした。

(二)  昭和五八年一月一五日に斎藤勝一を本部執行委員長とする組合(以下、甲組合ともいう。)は第一八回臨時全国大会を開催した。その議案書には、インフォーマル組織により組合分裂が強行され、確認書を提出しなかつた人は「ネッスル日本労働組合」を集団的に脱退したものであり、この大会は全国的規模で「ネッスル日本労働組合」の組合員を確定し、かつそのもとでの活動方針を確立するものであるとの記載がある。

昭和五八年三月二〇日には甲組合の第一九回臨時全国大会が開催され、本部役員の選挙(斎藤勝一が本部執行委員長に選任された。)及び組合規約の改正等が行われた。

組合規約が改正された点のうち、主なものは次のとおりである。一条の「名称」に「略称はネッスル第一組合とする。」と加えられた。三条の「目的」について「組合員の強固な団結により労働条件の維持改善を図ること等を目的とする。」と定められていたが、「組合員の強固な団結により、分裂を克服して労働条件の維持改善を図ること等を目的とする。」と改められた。一五条の「支部」について、「支部は本部と組合員との間の意思交流の徹底を図るために、その支部に関する一般組合活動を行う機構であつて、支部執行委員会で運営される。」との条項及び「支部は、規約及び上級機関の決定に反しない限り、その業務遂行の自主性が認められる。」との条項が削除され、「支部は、規約・本部機関の決定に従つて活動し、その自主性が認められる。」「支部の規約は、この規約に準じて別に定める。」との各条項が加えられた。「団体交渉権は、本部、支部及び分会が持つ。」との規定及び「支部には活動費を支給する。その金額は全国大会で決定する。支部の会計は、六月末において支部会計監査を受けて本部執行委員会に報告しなければならない。」との規定が新たに設けられた。

なお、第一九回臨時全国大会代議員選挙の公示によれば、甲組合の組合員は二六九名であるとされている(前出丙第五二号証の二によれば、斎藤勝一は、神戸地方裁判所において、昭和六二年二月一〇日現在で甲組合の組合員は九八名に減少しており、最近は新たに加入する組合員はいないと証言している。)。

(三)  一方、三浦一昭は、神戸地方裁判所に、「ネッスル日本労働組合」(代表者斎藤勝一)及び斎藤勝一を債務者として仮処分を申請し、同地方裁判所は、昭和五八年二月二五日、「債務者ネッスル日本労働組合が昭和五七年一一月一三日付全国大会(続会)の決議をもつてした債務者斎藤勝一を同債務者労働組合本部執行委員長に選出した行為の効力は停止する。債務者斎藤勝一は、債権者が債務者ネッスル日本労働組合の本部執行委員長としてその職務を執行することを妨害してはならない。」との仮処分決定をした。

また、田中康紀、浜田一男及び伊東忠夫は、神戸地方裁判所に対し、「ネッスル日本労働組合」(代表者本部執行委員長斎藤勝一)を債務者として、それぞれ右労働組合の本部書記長、本部副書記長及び本部執行委員の各地位にあることを仮に定める仮処分の申請をしたところ、同地方裁判所は、昭和五八年三月三一日、二つの労働組合の存在を否定し難いのみならず、債権者らは各主張の役職に就任したものであること等を理由にして、右申請を却下した。

また、三浦昭一は、昭和五八年三月四日、「ネッスル日本労働組合本部執行委員長」の肩書のもとに、斎藤勝一に対して、旧組合の組合印、本部執行委員長印、本部の什器備品一式、本部組合事務所出入口の鍵、本部の現金、預金通帳等及び本部の会計帳簿を含む一切の書類の引渡を請求したが、斎藤勝一はこれを拒否し、「ネッスル日本労働組合の組織分裂に伴う組合事務所の使用、組合財産の帰属問題については、今後双方の代表者間で話合いの上円満に処理する所存である」と回答した。

更に、三浦一昭は、同年三月一六日頃、反動者グループの諸行動によつて内部対立の傾向が強まろうとしているとして、本部執行体制の確立を行うために前年の一一月三日の開票後中断されている本部役員選挙を早急に実施完了するよう選挙管理委員会に要請した。そして、同年三月一六日、前年一一月三日に開票された本部役員選挙において有効投票総数の過半数を得ることができなかつた副執行委員長の候補者村谷政俊及び九名の本部執行委員候補者について三月一八日から二四日までの期間に決戦投票(信任投票)を行う旨の公示がされた。

右投票の結果、各立候補者のうち植野修(現在の原告の執行委員長)を除く九名が圧倒的多数の信任投票を得た。この投票については、甲組合の組合員も組合員に含まれるとして投票権を認め、組合員総数は二一二五名であるという前提で信任投票がされた。なお、投票投数は一八三六で二八九が無投票であつた。また、右のとおりこの投票に際しては、甲組合に所属する植野修も候補者として取扱つている(植野修は昭和五七年一一月一三日の第一七回定期全国大会及び昭和五八年三月二〇日の甲組合の第一九回臨時全国大会において、いずれも本部執行委員に選任されている。)。

同年三月二五日、三浦一昭を本部執行委員長とするグループ(以下、乙組合ということがある。)は第一回執行委員会を開き、新執行部の発足を宣言した。副執行委員長は村谷政俊、書記長は田中康紀、副書記長は浜田一男であるとされ、執行委員は伊東忠夫のほか、前記信任投票によつて信任された九名の者であるとされた。

(四)  乙組合は、昭和五八年六月四日及び五日に第一回臨時全国大会を開催した。

この大会においては、「ネッスル日本労働組合」の昭和五七年度本部役員選挙において現本部役員が選任され就任したこと、「ネッスル日本労働組合」の各支部定期大会の開催及びその中でされた決議、確認はすべて有効であること、「ネッスル日本労働組合」の昭和五七年度の各支部役員選挙において現支部役員が選任され就任したこと、第一七回定期全国大会における決議、確認は無効であつて、組合員斎藤勝一と共にする一部組合員の行動、行為は規約に反する分派行動、行為であり、組合統制違反行為であることを確認する旨の決議がされ、組合の統一と団結強化のため、斎藤勝一らと行動を共にする一部組合員は分派行動、行為を直ちにやめ、組合に服させること等の決議がされた。そして、「今日、組織内には、ごく一部の反動者が吹聴しているような第一組合も第二組合も存在せず、どの組合員も組合を脱退する手段をとつたり、新組合を結成した者は未だ誰もいない。また、組合組織の変更などもなく、従前からのネッスル日本労働組合の旗のもとに組合員が結集し、着実に運動の前進を行つてきている。ネッスル日本労働組合は一つであり、反動者の分派行動、行為を強く反省させ、組織の統制に服させる取組みを行い、組織混乱の沈静化をめざすよう行動する必要がある。」との趣旨を含む大会宣言を確認した。

その後、乙組合は、昭和五八年八月二七日及び二八日に第一八回定期全国大会を開催し、代議員による昭和五八年度の本部役員選挙などを行つた。定数と同一数の立候補があつたため、信任投票が行われ、全員が信任された。四役は従前と同一である。

三浦一昭は昭和五九年八月に本部執行委員長を退任し、以後執行委員長は村谷政俊である。

(五)  乙組合においては、昭和五八年六月の臨時全国大会及び同年八月の第一八回定期全国大会から昭和六一年の第二一回定期全国大会に至る各定期全国大会において、甲組合の組合員を含めてその組合員として取扱つており、これら組合員数を基準として各支部に大会代議員を割当て、また、甲組合の組合員にも選挙、全国大会等の通知をしている。したがつて、昭和六一年六月三〇日現在の組合員数は二〇二二人であるとしている。

旧組合の組合規約では、組合員の脱退について、脱退届を所属支部を経て本部執行委員長に提出し、本部執行委員長がこれを認めた場合は組合を脱退することができると定められており、組合員の除名については、組合員が組合の規約に違反したとき、組合の決議に違反したとき、組合の名誉を汚し、あるいは活動を妨げたとき、その他組合員として不適当と認めた者は、制裁を受けることがあり、制裁のうち除名等は本部審査委員会の議を経て、全国大会の決議によつて決定しなければならないと定められている。そして、甲組合の組合員についても、乙組合の組合員についても、相互にこのような脱退あるいは除名の手続はとられていない(但し、甲組合の組合員が甲組合に脱退届を提出して脱退するという事例は少なくない。)。

また、旧組合は昭和四七年九月に上部団体である全日本食品労働組合連合会に加入しているが、昭和五八年以後は乙組合がこれに加盟しているものとして取扱われており、更に、乙組合は右連合会に対して昭和五八年以後も甲組合の組合員を含めた人数(二〇〇〇名を超える人数である。)について会費を納入している。

4  第一七回定期全国大会以後の各支部における状況については、冒頭掲記の各証拠、〈証拠〉により以下の事実が認められる。

(一)  第一七回定期全国大会以後、各支部では甲組合を支持するグループと乙組合を支持するグループによつてそれぞれの支部大会が開催され、それぞれの組合活動が推進された。

甲組合派は、昭和五七年一二月から昭和五八年一月一五日の第一八回臨時全国大会までの間に、島田支部、東京支部、日高支部、霞ケ浦支部、神戸支部及び姫路支部などで支部大会を開催した。そして、右六支部は、昭和五八年五月から同年一一月までの間に、労働委員会から労働組合法二条、五条二項の規定に適合する旨の証明を受け、このうち五支部は昭和五八年六月から一二月の間に法人設立の登記をした。各支部は支部規約を新たに制定した。

一方、乙組合を支持するグループも、昭和五七年一二月一五日から昭和五八年六月一八日までの間にすべての支部において支部大会を開催した。甲組合はこれを「インフォーマル選挙」、「インフォーマル大会」であるとした。

(二)  甲組合東京支部の動向は次のようなものであつた。

昭和五七年一二月一六日に第一七回定期支部大会が開催され、「団結強化のための方針」を実施するために努力すること等が決議され、支部役員が選出された。

なお、この支部大会の開催について、執行委員長植野修が支部定期大会及び支部役員選挙の公示をしたところ、支部選挙管理委員長が右支部役員選挙の公示は無効であるとして、別個に支部役員選挙及び支部大会代議員選挙の公示をしたので、支部執行委員長は改めて支部大会の公示をするということがあつた(なお、旧組合の組合規約は、支部大会は支部執行委員長の招集により開催すると定めている。)。

昭和五八年一月七日には会社に対して支部役員変更の通知をし、同年一月一四日には会社に対して支部団体交渉の申入れ等を行つた。また、同日、会社に対して、一月一六日に新たな組合が結成されようとしているとして、新たな組合結成のために会社施設を貸与することのないようにとの申入れをした。

昭和五八年四月九日には第一八回臨時支部大会を開催し、「支部自体が労働組合としての資格、組織、機能を具え、独自の活動を強化する件」を可決し、新たに東京支部規約を制定したほか、支部役員を選任した。支部執行委員長には植野修が選任された。

同年五月二四日、東京都地方労働委員会から労働組合法二条及び五条二項の規定に適合する旨の証明を受け、同年六月四日、法人設立の登記をした。

これに対し、東京支部の乙組合派グループは、昭和五七年一二月に支部役員選挙を行つて四宮義臣を支部執行委員長に選任し、同人は昭和五八年一月一八日、植野修に対して執行部業務の引継ぎをすること、公印一式及び組合資産を引渡すことを要求した。これより前、一月一六日には、乙組合派による第一七回東京支部定期大会が開催されている。

(三)  島田支部においては、支部執行委員長が支部定期大会、支部役員選挙及び代議員選挙(後に代議員制を全員大会に変更した。)の公示をしたが、支部執行委員会名で別個に支部大会の公示がされ、また、支部選挙管理委員会委員長も支部役員選挙の公示をした。執行委員長の公示は「団結強化のための方針」に基づく誓約書の提出を大会構成員資格の要件であるとしたが、執行委員会名の公示は誓約書は必要ないとした。結局、島田支部においては昭和五七年一二月一九日に二つの支部大会が開催された。

霞ケ浦支部においては、昭和五七年一一月二四日頃、甲組合の本部執行委員会が、再建委員会を設置し、支部大会終了まですべての支部運営を行う旨決定した。そして、再建委員会は数回の集会を行い、昭和五八年一月九日に支部大会を開催した。

これに対して、同支部の乙組合派の執行部は、右大会は無効であるとして、甲組合派に対して、分派活動をやめて統制に服するように申入れた。そして、乙組合派は昭和五八年五月二七日及び二八日に支部役員選挙を行い、六月一八日に支部定期大会を開催した。この大会において、甲組合派の一部組合員の行動は分派行動、組合統制違反行為であり、これら分派行動を直ちにやめさせ、組合統制に服させる旨の決議がされている。その後も乙組合派は引続き甲組合派に対して、統制に服するよう呼び掛けるとともに、乙組合に復帰するよう申入れている。

(四)  甲組合は会社に対し、昭和五八年一月にチェックオフ協定の破棄を通告したが、会社はその後もチェックオフを続行し、組合費を乙組合に引渡していたので、甲組合の四支部において組合費の控除禁止を求める仮処分を申請し、いずれも認容されている。また、チェックオフの継続等を不当労働行為であるとする労働委員会に対する救済命令の申立も認容されている。

以上1ないし4において認定した事実に基づいて検討することにする。

右認定の事実によれば、旧組合の第一七回定期全国大会を契機にして甲組合派と乙組合派の対立、反目、抗争が激化し、本部段階においても支部段階においても両派がそれぞれ別個の活動を推進した上で、昭和五八年三月までには両派とも執行部体制を確立して、甲組合派は同年三月二〇日に第一九回臨時全国大会を開催して従前の組合規約を改正し、乙組合派も同年六月に第一回臨時全国大会を開催しているのであるから、昭和五八年前半までには会社内において甲組合と乙組合とが併存するに至つたものと認めざるをえない。甲組合は、自己固有の代表者、決議及び執行の機関を有し、組合規約も具え、自主的な活動を続けているのであるから、それ自体独立の団体としての組織を有するものというべきであり、乙組合とは別個の存在を有する労働組合としての実体を具えているものと認められる。

ところで、このような二組合併存という事態をいわゆる組合の分裂とみるかどうかであるが、労働組合の内部対立によりその統一的な存続・活動が極めて高度かつ永続的に困難となり、その結果組合員の集団的離脱及びそれに続く新組合の結成という事態が生じた場合に、初めて、組合の分裂という特別の法理の導入の可否につき検討する余地を生ずるものと解するのが相当である。けだし、労働組合法は労働組合の解散事由を定めているが、組合の分裂により労働組合が消滅する旨を定めてはいないし、組合の分裂の法理を認める見解によつても、その要件及び効果は十分明確にはされていないからである。

そして、本件においては、旧組合は機能喪失により自己分解して消滅したとは評価できないのであつて、なお乙組合すなわち参加人として組織的同一性を失うことなく存続し、これに反し甲組合は、旧組合とは別個の組織であると解するのが相当であつて、本件においては分裂の法理の導入の可否について検討する必要はないものと考える。その理由は次のとおりである。

すなわち、まず参加人は旧組合と同一名称であり、旧組合の組合規約及び諸規定をそのまま承継し、これら規約及び規定のもとに運営されている。また、参加人は、その構成員は甲組合の組合員を含む全組合員であるとし、甲組合の組合員をも参加人の組合員として取扱つているのであるから、参加人の構成員も旧組合の構成員と同一であるということができる(もつとも、甲組合の組合員は、実際には参加人の組合員としての権利を行使したり、組合費納入等の義務を履行したりはしておらず、参加人の組合員としての活動はしていないし、乙組合に所属しているという意思も持つていないであろうが、そのような活動の可能性は残されており、参加人側もそれを拒んでいる訳ではない。したがつて、少なくとも参加人の構成員となりうる資格要件は、旧組合のそれと変わりがない。)。更に、参加人の本部役員は、旧組合の規約等にのつとり、正当な手続によつて選任されたものである。三浦一昭(執行委員長)、田中康紀(書記長)、浜田一男(副書記長)及び伊東忠夫(執行委員)は役員選挙において有効投票総数の過半数を得ており、村谷政俊(副執行委員長)及び執行委員八名は後日信任投票(決戦投票)で信任されているからである(なお、三浦一昭らに対する二度にわたる制裁処分は、いずれも定足数を欠く全国大会において決議されたものであるから、有効なものとはいい難い。この決議が有効であるとする原告の主張は、独自の見解であつて、採用することができない。少なくとも欠席した代議員に、出席しない場合には代議員資格を放棄したものとみなす旨を予め警告するなどの措置をとつた上で、右のようにみなすことにする必要があるであろう。また、田中康紀、浜田一男及び伊東忠夫の三名が誓約書を提出しないという理由で、それぞれ当選したとみなされた役職に就くことができないとした点も、何ら根拠のないことであつて、このような取扱いを有効とする余地はない。)。

これに対して、甲組合は、「確認書」を提出することをその構成員たることの資格要件としているのであつて、組合の方針ないし活動について特定の考え方を持つ者だけを組合員として認め、それ以外の者を排除しているのであるから、既にこの点において旧組合とは異質、別個の集団であるといわざるをえない。しかも甲組合は、旧組合の組合規約を改正して、その略称を「ネッスル第一組合」であるとし、その目的も変更し、本部と支部との関係についても支部の自主性をより広範に認めるように変更するなど、旧組合とはいくつかの重要な点で異なる性格、形態のものとなつている。そして、前記認定の経緯によれば、旧組合の旧執行部は、組合員多数の意向に反して従前の執行部体制を維持しようとして種々画策したが、組合員の支持を得られず結局これに失敗して、旧組合の主導権を乙組合派に奪われたために、少数派を糾合して乙組合派と袂を分かち、旧組合とは異なる新しい組合をこれら少数派だけで結成したものと評価するのが相当である。

なお、甲組合の斎藤勝一執行委員長は、神戸地方裁判所における本人尋問において、旧組合の伝統、活動の内容、運動方針等をよく継承しているのは、少数になつたとはいえ甲組合であると自負していると供述している(〈証拠〉)。しかし、これら組合の運動方針、それに基づく活動の内容を決定し、ひいては組合の伝統を形成してゆくのは、その時々の組合員全体の意思にほかならないのであつて、これらは決して一定不変のものではない。したがつて、組合の運動方針、活動内容等は組織的同一性の有無を判断する基準とはなりえないものである(少なくとも、組合の運動方針等のあり方を巡つて組合内に対立、抗争が生じ二つの組合が併存するに至つた本件のような場合には、基準とすることができない。)。

また、甲組合は、旧組合が分裂したものであるとの見解をとり、原告も本訴においてそのような主張をしているが(もつとも、旧組合が分裂すれば旧組合は消滅するはずであるが、原告は旧組合が分裂したとしながら、これと甲組合とが同一性を有すると主張しているようである。原告の主張は矛盾しているか又は分裂の意味について独自の見解をとつているものというほかはない。)、組合内の若干の不平組合員が新組合を結成して従前の組合の分裂を宣言しても、そのような少数組合員の意思だけで当然に組合の分裂を認めるべきものではない。この法理の導入について検討の余地を生ずるのは、前記のような実態が認められる場合でなければならない。

そして、本件における実態は、旧組合の内部における二派の対立、抗争により、一時的には統一的な活動が困難となり、混乱が生じたとしても、それは決して永続的なものではなく、旧組合はその機能を全く喪失して自己分解したものではないのであつて、その後も参加人として統一的な活動を継続しているものである。

以上検討したところによれば、参加人は旧組合と同一性を有する組織であるということができる。そして、甲組合は、参加人の内部においてその一部組合員が別個の組合を結成して統制に服さず分派活動をしているものとみるか、それとも旧組合から集団的に離脱した者ないしは実質的に集団的に脱退した者が新たに結成した組合であるとみるかはともかくとして、いずれにしても旧組合との組織的同一性を有するものではない。

四したがつて、旧組合に帰属していた本件預金の債権者は参加人であるということになる。

そして、〈証拠〉によれば、参加人の請求原因4項の事実を認めることができるから、参加人の原告及び被告に対する請求はいずれも理由がある。

五よつて、原告の被告に対する請求を棄却し、参加人の原告及び被告に対する各請求をいずれも認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用し、仮執行の宣言を付するのは相当でないのでその申立を却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官矢崎秀一)

別紙預金目録〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例